靴下で起業して4年になる弊社のふり返りと展望とは?

創業して本日(2018年9月26日)で丁度4年になりました。明日から5年目に突入します。

目次

OEM靴下の顧客について振り返ってみる

弊社財務は、2014年の創業以来一貫して、クラウドソフトのFreeeを使って管理をしています。

Freeeを見て、継続的にお取引頂いているお客様の推移について調べてみました。

2015年〜2社

2016年〜4社

2017年〜5社

2018年〜4社〜5社(予定)

現在15社〜16社のお客様がいらっしゃることがわかります。毎年、継続的にお取引いただける顧客が増えると、積み重ねで売り上げもアップしていきます。

現在の売り上げは、なんとか自力で会社を回して食べていくことができるくらいです。

自社の環境について整理してみた

僕らが仕事する場所とは?

弊社は、2014年に西荻窪駅前のレンタルオフィスでスタートしました。

昨年吉祥寺に30平米の事務所を借りましたが、失敗でした。

井の頭公園のほとりで仕事をして、モチベーションは上がっても、毎月の家賃投資は何も生み出さないということが身にしみてわかりました。

現在は、サテライトオフィスとしての秋葉原と、店舗兼事務所としての東小金井の2拠点で業務を行っております。

  • 秋葉原サテライトオフィス

2017年8月末に靴下の編み込みをバーチャル上で表現することができる、島精機製作所のデザインシステムを導入しました。

導入費用は、30代会社員の1年分の年収くらいで、弊社独自で導入するのは、とてもじゃないけどできませんでした。

懇意にして頂いている秋葉原の企業さまに業務提携を申し込み、共同購入しました。

秋葉原の会社様が、島精機製作所とリース契約を結び、弊社が毎月のリース費用の半額をお支払いしてシステムをシェアする形態です。

システムは僕と秋葉原会社様の共同財産です。システムの設置場所が秋葉原ということで、合鍵を作って頂き、弊社のサテライトオフィスとして使用しています。

  • 東小金井PO-TO

2018年8月に、JR中央線東小金井の高架下ストリートに位置する、共同オフィスPO-TOの一室に入居しました。

路面に面しているので、店舗としても利用することが可能です。

吉祥寺に事務所を借りて失敗した教訓を糧にして、せめて家賃分くらいの投資効果を生み出すことを目標に、靴下を販売することにしました。

靴下は、9年間勤めさせて頂いた、前職のぬいぐるみメーカーから卸して頂きました。

生産地は、弊社も製造をお願いしている台湾工場です。工場の品質に、ぬいぐるみメーカーの開発力と品質管理を加えた商品ですので、僕も自信を持って販売することができます。

弊社靴下の製造工場とは?

靴下の製造工場は、創業以来一貫して、中国と台湾の工場です。

中国と台湾の工場と秋葉原の企業様は、僕が事業をクローズしない限りは生涯付き合って行きたいと考えています。

発注者と受注者の関係ではなくパートナーです。共に成長していくことを目標にしています。

中国工場

中国での靴下の製造は、靴下と雑貨の貿易会社を営み、靴下生産工場の株主でもあるパートナーに製造を委託しています。

2013年、僕が前職のぬいぐるみ雑貨メーカを退職した後、まず最初に取り組んだのは、彼の会社を安定させることでした。

靴下の生産工場は、生産数量がないと動いてくれません。靴下の生産数量を増やして、工場への影響力を持つために、彼と一緒に営業を行いました。

ある程度の数量が集まったところで、工場との関係をより強固にするために、工場の株式を取得しました。

同時に日本語ができる中国人のスタッフを育成し、お客様を任せるようにしました。当時の知り合ったお客様は、今も彼の貿易会社と直接お取引しています。

彼の会社が軌道に乗ったところで、僕はブリングハピネスを立ち上げました。弊社が、彼に発注し、弊社が輸入してお客様に販売する形です。

身内に発注をするようなものですので、各方面融通を利かせることができます。

台湾工場

台湾工場との付き合いは、前職の会社員時代も含めると8年間になります。

2013年会社を退職した後、僕は会社という看板がなくなりました。

当然のことながら、会社員時代の頃のような無理を工場にお願いするわけには行きません。

工場にとって、何がプラスになるか考えました。

台湾工場の社長は、職人気質で、あまり営業が得意ではありません。僕自身が工場の営業スタッフとして、顧客を増やすお手伝いをすることにしました。

通訳としてお客様を何回も工場にアテンドしました。有名テーマーパークの監査になかなか合格せず苦労したこともありました。

2回目にしてやっと監査に合格し、ビジネスが軌道に乗ったところで、日本語を勉強中の台湾人の担当者に業務を引き継ぎました。

中国と同じく、一旦手放した上でブリングハピネスを立ち上げました。

その後、しばらくは、仕事のやりとりはありませんでしたが、現在は、島精機製作所のデザインシステムを導入したことを契機に、弊社靴下の製造をお願いしています。

今後の展望

こうしてまとめてみると、自社のなすべきことが見えてきます。

営業販売面

OEM顧客については、既存客へのサービス強化と、過去にお取引を頂いたお客様に再度アプローチする必要があります。

新規事業である物販事業も、少しづつでも育てていかなければなりません。

製造面

製造面は、今年から台湾工場での生産ができるようになったため、厚みが増しました。

起業初期からの積み重ねが、実を結んできています。

今だけを考えれば、問題はなさそうです。

しかし、中国は人件費の値上がりや、中国政府の方針による製造環境の変化、安いとだけというイメージからの脱却するために、いかに総合的な品質を底上げをするかなど課題があります。

台湾は、社長が60代前半、後継の息子が30代後半です。共に職人肌になるので、営業が得意ではありません。その辺をどう考えているのか、中長期的に話をする必要がありそうです。

まとめ

僕のビジネスは、信頼関係で成り立っています。

お客様や工場と一緒に成長をしていくことが、僕の目標です。

 

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この記事を書いた人

合同会社ブリングハピネス代表。中国内モンゴルで中国語とモンゴル語を学んだのち、東京のぬいぐるみ雑貨メーカーで9年間生産管理の仕事をする。2014年に起業し、台湾靴下工場と一緒に「靴下ブランドを立ち上げたい」デザイナー、クリエイター、ブランドに向けた「伴走型でじっくり取り組む靴下製造サービス」を立ち上げる。台湾工場の強みは細かなデザインの再現とはき心地の良さを両立させる技術力。起業してからの7年間で、工場と二人三脚で数多くのブランドの靴下製造を手がける。バーチャルで靴下サンプル製作が可能な島精機製作所デザインシステムを使用。

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