日本百名城スタンプラリーのスタンプを押しに甲府の武田氏館(躑躅ヶ崎館)に行ってきた

  • 武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)スタンプの設置場所を知りたい。
  • 武田家関連の史跡巡りをしている。
  • 日本百名城スタンプラリーに興味がある。

本日は、そんな方々に向けて山梨県甲府の「武田神社」(躑躅ヶ崎館跡)についてリポートしてます。

日本百名城スタンプラリーをより一層楽しむために、全国制覇を挑戦するにあたって自らに下記のような条件を設けました。

  • お城の所在地に近い場所に仕事をつくり、出張として現地に赴きスタンプをゲットする。
  • お城までの距離感を体感するため、現地での移動は自転車を使う。

今回も甲府市内での商談後、自転車で躑躅ヶ崎館の跡地に建てられた武田神社に向かいました。

武田神社は、山梨県甲府市古府中町にある神社。躑躅ヶ崎館の跡地に建てられており、武田信玄を祭神とする。

目次

甲府市内で商談を終えて、自転車で武田神社へ向かう

「お車でいらっしゃったのですか?」

「自転車です」

「えーっ」

出張に折りたたみ自転車を持参するようになり、お客様とこのような交流が生まれるようになりました。

東京から自転車で商談に来ると聞いてびっくりする方もいらっしゃいます。

電車から降りて、自転車を組み立て、見知らぬ土地で、ペダルを漕ぎ出す開放感は癖になります。折りたたみ自転車を購入したのは、大当たりでした。

Google Mapに誘われ(いざなわれ)山県昌景屋敷跡へ

自転車にスマホスタンドを取り付けて、Google Mapをナビゲーションとして使用すれば、ほぼ道に迷うことがありません。

経路を「徒歩」に選ぶと、普通に行ったのでは、通らないであろう、細い裏道の路地を指定してくれます。

ペダルを漕ぎ進んで行くと、山県昌景屋敷跡が目に飛び込んできました。

「ここに、ああの山形昌景が住んでいたのか」

信長の野望革新では、武力91,騎馬Sの猛将です。

山県 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。部隊の軍装を赤一色に統一し編成したことから、「赤備え」として諸大名から畏怖された。赤備えを見ただけで勇猛な兵ですら震え上がったと言われる。山県隊があまりにも強すぎたことから赤備えは最強部隊の代名詞となり諸大名に大きな影響を与えた。なお、昌景の死後、徳川家康の重臣・井伊直政や真田昌幸の次男・真田信繁らも赤備えを採用しているのを見ても、その強さがいかに畏敬されていたかがわかる。

武田氏館跡の日本百名城スタンプの設置場所は?

山県昌景に思いを馳せながら、緩やかな坂をペダルを漕ぎ進めていくと武田神社に到着しました。

武田氏館跡の日本百名城スタンプは、神社の敷地内にある「宝仏殿」の入り口になります。

日本百名城の本を脇に抱えた私を見た、宝仏殿窓口のおばさまが、スタンプを貸してくれました。スタンプは窓口で保管されており、お声をおかけして借りる仕組みになっているようです。

親切にお声をおかけ頂き、本当に助かりました。

武田神社のホームページによると、宝仏殿の営業時間は9:30〜16:00となっています。スタンプを目的に訪れる場合は、念のため、営業時間を確認されてから訪問されることをおすすめします。

横山光輝さんの漫画「武田信玄」を読んでから訪問すると思入れが深まる

武田神社は今回で2回目です。前回は営業時間が過ぎてしまい宝仏殿に入ることができませんでした。

数十年ぶりに横山光輝さんの「武田信玄」全巻を読破したこともあり、今回は特に深い思入れを持って見学することができました。

仕事の方は、前回に続き甲府で2件目のお客様と商談をすることができました。甲府に仕事を作るほど、山梨周辺のお城巡りの機会が増える仕組みです。

次回は、駅前の甲府城や、要害山城にも足を運びたいと考えています。

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この記事を書いた人

合同会社ブリングハピネス代表。中国内モンゴルで中国語とモンゴル語を学んだのち、東京のぬいぐるみ雑貨メーカーで9年間生産管理の仕事をする。2014年に起業し、台湾靴下工場と一緒に「靴下ブランドを立ち上げたい」デザイナー、クリエイター、ブランドに向けた「伴走型でじっくり取り組む靴下製造サービス」を立ち上げる。台湾工場の強みは細かなデザインの再現とはき心地の良さを両立させる技術力。起業してからの7年間で、工場と二人三脚で数多くのブランドの靴下製造を手がける。バーチャルで靴下サンプル製作が可能な島精機製作所デザインシステムを使用。

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