ゲーム中毒で人生を棒にふりそうになった私が、ビジネスや起業に「信長の野望」などシュミレーションゲームの体験が役に立つと考える理由とは?

2014年に靴下メーカーとして起業して以来、ぼちぼちと「信長の野望」をプレイするようになりました。

信長の野望シリーズは、「光栄(現コーエーテクモゲームス)」が開発した歴史シミュレーションゲームです。

私の青春時代は、光栄さんの歴史と、共にあったと言っても過言ではありません。

初期の信長野望は、マルチプレイが可能でした。友人がトイレに行っている隙に、彼の領土に忍者を送り込んだときの、爽快感は今でも忘れません。

その反面、ゲームにはまり過ぎて、成績も最低でした。高校を中退しそうになったこともありましたし、専門学校で中国語を学んでいた頃は、テストで3点をとったこともあります。

その後、友人に誘われて中国を旅したことをきっかけに、中国の面白さにはまりました。中国との出会いが私をゲーム中毒から救ったのです。

私の興味を中国へ向かわせるきっかけを作ったのも、光栄さんの三国志でしたので、そう考えると人生って不思議です。

中国と出会って以来、しばらくゲームとは距離を置いていましたが、2016年の大河ドラマ「真田丸」に信長の野望の戦略マップが使われているのを見て、また信長の野望をやりたくなってしまいました。

コーエーテクモさんの思う壺というやつですね。

学生時代と違っていまは、曲りなりとも会社を経営する立場です。実際にプレイすると信長の野望の考え方が以外にも、ビジネスに役立つことに気がつきました。

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弱者が四面楚歌を避けるために同盟を組む

信長の野望で、天下統一を目指すにあたって、隣国全てが敵になってしまうと、戦力が分散されてしまうため、苦労します。

適切な同盟相手を選択し、一箇所に戦力を集中させることにより、弱国でも生き残れる活路を見出すことができます。

同盟の期限は5年間です。同盟に甘んじて、何もしないでいると、同盟相手が滅んでしまうか、逆に強大になっていきます。

滅んでしまったら、四面楚歌の状況に戻ってしまいますし、強大になると次の5年間の同盟を延長してもらえるか不透明になります。

同盟を結んでいる間の5年間を、次の5年間に備える準備期間としないと生き残ることができません。

私たちのビジネスも「同盟戦略」が基礎になっています。

日本市場をターゲットにオーダーメイド靴下を製造している私たちにとって、お客様のいる日本が最前線になります。

生産は、台湾、中国の靴下工場です。工場と関係をがっちりと固めて、品質が良い靴下を滞りなく市場に供給できる体制を構築するところからスタートしました。

日本国内に、顧客と直接コンタクトがとれる信頼がおけるパートナーがいてくれることは、工場にとってもプラスになります。

工場と同盟を組むことで、ビジネス立ち上げの初期段階において、少ない数量での製造、短納期での対応、支払い条件の融通、など受けることができたので、なんとか生き残っております。

同盟を組むということは、双方にとってメリットが必要です。なにをしてあげれば、相手にとってもプラスになるか、考え続けなければなりません。

攻撃は最大の防御なり

信長の野望において、敵が隙を見せたタイミングで、すぐに決断をし速攻することが大事です。

一歩踏み出せたかどうかで、その後の展開が大きく異なります。各局面をセーブしておくことができるので、ロードして何回でもシュミレートすることができます。

それが一番面白いところでもあります。

ビジネスにおいて、「チャンス」「ピンチ」にかかわらず、ここぞというときに、思い切って動く必要に迫られるときがあります。

すぐに「やるか」「やらないか」で、その後の展開が大きく異なります。

2021年春先、新型コロナウイルスの影響で、テーマーパークや観光物産のオーダーを多く引き受けている工場の閉鎖が決まりました。

工場と同盟を結ぶ「同盟戦略」が私たちの考え方です。

工場の受注は減っておりましたが、私たち1社のみのオーダーで生産ラインを回して、一緒にピンチを乗り切るつもりでした。

社長とも密にコミュニケーションをとり、工場と一体になって立て直しに取り組んできました。

しかしながら、2月末の最後の日曜日、工場で働く従業員から、「編機数台が撤去された。どうやら売却されたらしい」という情報が入りました。

青天の霹靂でした。数万足のオーダーを入れる直前のことでした。

社長に電話を入れこれから発注する分だけでも、残った編機で製造してもらえるようお願いしたところ、「難しいかもしれない」ということでした。

いつもの、力強い口調ではなく、声が裏返っていました。他の工場での製造も視野に入れるよう勧められました。

電話で1時間ほど話をして、あきらめることを決断しました。

長年の同盟相手との決別は、身を切られる思いでした。工場を支えられなかった自分の力不足を悔やんでも悔やみきれませんでした。

お客様には、正直にありのままをお話をして、力を合わせてピンチを乗り切ることにしました。

他の工場にオーダーを振り替えて順調に生産することだけに集中しました。早めの決断ができたので、10日ほど納期が遅れたのみで無事納品することができました。

メイン工場の閉鎖という危機を奇跡的に乗り切ることができました。

現在は、順調に推移しています。

旧工場は、機械が売却された3月の末に閉鎖しました。もし私が工場の状況を把握しておらず、決断が遅れていたら、お客様に大きなご迷惑をおかけしていました。取り返しのつかないことになっていたかもしれません。

工場の製造現場との直接のつながりによる情報のはやさと、信長の野望で、「セーブ」と「ロード」の繰り返しで養われた「決断力」に救われたのです。

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この記事を書いた人

合同会社ブリングハピネス代表。中国内モンゴルで中国語とモンゴル語を学んだのち、東京のぬいぐるみ雑貨メーカーで9年間生産管理の仕事をする。2014年に起業し、台湾靴下工場と一緒に「靴下ブランドを立ち上げたい」デザイナー、クリエイター、ブランドに向けた「伴走型でじっくり取り組む靴下製造サービス」を立ち上げる。台湾工場の強みは細かなデザインの再現とはき心地の良さを両立させる技術力。起業してからの7年間で、工場と二人三脚で数多くのブランドの靴下製造を手がける。バーチャルで靴下サンプル製作が可能な島精機製作所デザインシステムを使用。

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