高校を卒業した後、三鷹の杏林大学病院の近くにある「アジアアフリカ語学院」の中国語科へ入学しました。
もともと勉強が得意ではなかった自分は、すぐに授業について行けなくなりました。一学期のテストで「3点」をとったことは今でも忘れません。
2年生に進級することもできず、1年生を2回やることになり、結局卒業することはできませんでした。
ただ、1年生を2回やったことで、発音の授業を2回受講できたのは、怪我の功名でした。
中国で、発音が通じないときのあの顔
実際に中国へ行ってみてわかったのですが、発音や声調を間違えるとなかなか通じません。
中国での日常生活において、聞き取りにくい中国語を使うと、
「啊(アー)」
まさに不良少年に耳障りなことをいってしまった時に発せられる、あのイントネーションで、この世の終わりでも来たようなものすごくいやな顔をする人に出会うことあります。
語学を学ぶ人間としてこれほど傷つくことはありません。(もちろん一生懸命聞いてくれる方も多数おります。)
中国語をマスターする鍵は発音に尽きると強く感じました。
中国旅行で、一人取り残された
本気で中国語に取り組むきっかけになったのは、2回目の1年生の夏休みに、友人に誘われて中国旅行に行ったことでした。
当時の中国は、まだ旧社会主義の色が濃く残っており、お釣りを投げて渡されたり、買い物の際に逆に嫌な顔をされたり、大変なショックをうけました。
そんなおどおどする自分に嫌気がさしたのか、友人は、私が疲労でホテルで休んでいる間に鉄道のチケットを購入し、さっさと一人で成都へ行ってしまいました。
下手な中国語だけで、なんとかするしかなかった
そうなると頼れるのは自分だけです。へたくそな中国語だけでなんとか乗り切るしかありません。
嫌な顔をされたこともありましたが、真摯に話を聞いてくれ親見になって助けてくれる方々にも出会いました。
上海から列車で4日間、さらにバスを3日乗り継いで「カシュガル」というシルクロードのオアシスの街まで旅しました。
この旅で、生まれてはじめて、「学んだことを実践する」という感覚を知りました。
言葉がちゃんと通じた時の嬉しさが、中国語に本気で取り組む大きなモチベーションになったのです。
旅行会話集だけを頼りに、中国語を使った
「アジアアフリカ語学院」は、結局成績で2年生に進級できずに中退することになってしまいました。
その年の3月、私は神戸から中国天津行きの船「燕京号」に乗っていました。
この旅に持って行ったのが、1冊の中国語旅行会話集でした。
「シャワーが壊れた」「宿泊を延長したい」
自分の語学力では伝えることができない状況が訪れるたびに会話集を開く日々でした。
実際の切羽詰まった状況で使った言葉は、頭で覚えるのではなく、感覚に刻み込まれるため、記憶に残りやすいと感じました。
また旅行中に何度も同じ場面が訪れるため、繰り返し使う必要に迫られます。
中国の方は話し好きで、打ち解けると、遠慮なく色々な質問飛んできます。
「日本の給料はいくら」「結婚はしているのか」
ほぼ毎回、同じような質問をされます。気づかないうちに、会話が楽になっていきました。
中国語を挫折しそうなかたへ
中国語専門学校の門をたたいて、35年が経ちました。
社会に出てからも、中国語をやめようと思ったタイミングは何度かありました。

今は、今はオリジナルデザインの靴下を製造する会社を営んでいます。
中華圏の工場で製造をしているため、日常的に中国語を使う生活をしています。
そもそも友人に誘われて中国を旅していなかったら今は、全く別の仕事をしているかもしれません。
中国語をやめようと思ったら、いつでもやめれます。もし迷っているのでしたら、中国大陸でも台湾でも、数日間でも中華圏で過ごしてみることをおすすめします。
やめる決意ができるかもしれませんし、何かが変わるきっかけになるかもしれません。

