昨年の12月から、情報発信を再開しました。
まずはメルマガの配信からスタートし、noteで日記を書いてリハビリ。そしてホームページの社長ブログとこの個人ブログを運営しています。
文章は決して上手くありません。それでも、書くこと自体に意義があると感じています。
理解して頂けるように努めること
「なんでわかってくれないんだ」
そう叫びたくなる日もあります。ただわかってもらうためには、
- 直接お話をするか
- 定期に言葉にして伝え続けるか
そのどちらかしかないのだと思います。
仕事が増えるほど、書くことは止まりやすい
最近思うのですが、事業をはじめたばかりの頃は、まだ余力があります。そのため、発信も続きます。
お客様とお取引を頂き、仕事が増えていくと、会社としては安定していきます。その一方で書くことはどうしても後回しになり、次第に止まっていきます。
実際私たちもそうでした。
会っているから、理解されているとは限らない
お客様に直接お会いできる時間には限りがあります。どうしても実務の話が中心になり、改まって自社の方針や考え方を伝える機会はほとんどありません。
ただ、顔を合わせる機会が多いほど、「理解されているはずだ」と思いがちです。しかし伝える努力をしなければ、伝わることはありません。
その結果、何かのきっかけで考え方の違いが浮き彫りになることがあります。実は理解をされていなかったことに気がついたときには、もう手遅れ、というケースもあります。
書くことは、理解の土台を作る
書いたからといって、必ず読んでもらえるわけではありません。
それでも
- 読んでもらうように促すことができる
- 日常のやり取りの中で話題にすることができる
そうした接点を作ることはできます。
十分ではないかもしれませんが、理解してもらうための土台を作ることはできるのではないかと感じています。
書くことで、言語能力の土台を作る
私は9年間、生産管理の仕事をしていました。吃音があり、話すことはあまり得意ではありません。
会社勤めの頃も、自分の考えを周りの方にうまく伝えることができませんでした。
起業してから、ブログを書き始めました。靴下のこと、工場のこと、靴下を取り巻く人たちのことを書いていました。
しばらく書き続けていると、問い合わせが入るようになりました。
またブログを書きながら、お客様を訪問し、話をする中で、だんだんと自分の考えを伝えられるようになっていきました。
今でも話すことは、得意ではありません。それでも、詰まりながらではありますが、仕事で必要なこと、自分が考えていることについては、
伝えられるようになってきたと感じています。
書くことを再開して、見えてきたもの
ここ数年業績は大きく伸びました。それでも、それでも、心のどこかにモヤモヤがあり、なかなか体が動かない時期が続いていました。
夜一人で、「靴下がなくなったとしたら、自分は何をすればいいんだろうか」と考え込んだり、事務所でパソコンのモニターを前に動けなくなった日も多くありました。
けれど、ここ数ヶ月情報発信を再開したことで、将来に対する輪郭が、少しづつはっきりとしてきた感があります。
この先はどうなるかわかりません。
少なくとも迷って体が固まってしまうことがないように、情報発信は続けたいと思います。
編集後記
2/26(木)
終日仕事場にこもった。台湾人同僚とのやりとりは一貫してLINEを使っている。以前は思いつくままにやりとりをしていた。それでも私の中国語が理解できなければ、その分沢山の質問が飛んでくるくらいで特に支障はなかった。だけど伝えて理解してもらう努力をするのと同じで、意識しないと改善しない。ずっと同じ状態が続くか、下手すると退化してしまう。
去年の11月までは台湾人の先生について、週に2時間中国語の整備をしていた。今はその余裕がなくなっているので、LINEのやり取りで、少しでも違和感があれば、同僚に送る前にChatGptで添削と解説をしてもらっている。同僚とのやり取りなので硬すぎず、柔らかくなりすぎないトーンがベストなのだけれど、やけにビジネスっぽい言い方になったりする。どこかの段階でまた先生のレッスンを受けるつもりだけれど、今はできる範囲で学びたい。台湾人の先生に習ったことも次の機会に言語化したい。
夕方、妻と息子が帰ってきた。3週間長かったけど、早かった。