ブリングハピネスノート

中国語に関わりたくなかった日を、トキワ荘で思い出した

6歳の息子を連れてトキワ荘へ行った。

まんが道はかなり若い頃に神保町の古本屋で愛蔵版を購入した。以来事あるごとに読み返している。

トキワ荘前の公園で息子が滑り台で遊んでいるときふと、大量に原稿を落として仕事を失った満賀道雄と才野茂が立ち直っていく数々のシーンが脳裏に浮かんできて涙が出そうになった。

26年前に中国内モンゴル留学から帰国した私は、小さな中国系の会社に就職した。

学生時代に内モンゴルで感じた中国と、初めてのビジネスで感じた中国で大きな隔たりがあった。

中国東北部の経営陣との会議のため初めての出張へ行った。お酒を断れずレストランで気を失った。

断片的な記憶でカラオケに行ったことだけ覚えていた。

朝ベットから起き上がるとポケットに入れていた財布がなくなっていた。有り金を全部失ったことに気がついた。

帰国するときにリコンファームを忘れて、オーバーブッキングで帰国できないトラブルにも遭遇した。

当時はフライトの数日前に再度航空会社に連絡して搭乗の意思を伝えるリコンファームが必須だった。

留学で何年も中国に住んでおきながら文化や習慣の違いにも悩んだ。

中華圏では、打包(ダーバオ)という、レストランで余った食事を発砲スチロールのタッパにいれて持ち帰る習慣がある。

中国東北部出身の社長は若い私に少しでも沢山食べさせてあげたいという気持ちがあったのだろう。

毎回会食に行く度に残りを持ち帰るように言われた。

だけど当時私はその習慣すら知らなかったので悩んだ

「なぜ自分が残りものを持ち帰らなければならないんだろうか?」

最後のとどめとなったのは、社長から封筒をもらってお客様のホテルの部屋へ金一封を届けにいったことだった。

「こんなことをするために留学をしたのか」
「何年も中国語を学んだのはなんのためだったんだ」

私は10カ月でその会社を辞めてしまった。
退職後はしばらく何もやる気がせず、家でずっと信長の野望をやって過ごしていた。

しばらくして、さすがにこままではまずいと思った。だけど中国と中国語には二度と関わりたくなかった。

そんなとき出会ったのがまんが道だった。

大量に原稿を落とし信頼を落とした満賀道雄と才野茂。故郷の高岡からトキワ荘へ戻りテラさんこと寺田ヒロオに漫画をやめること伝える。

「君たちから漫画を取ったら何が残るんだ」

と二人を叱咤激励するシーンは衝撃だった。

テラさんの部屋(トキワ荘通りお休み処2F)

「君から中国語をとったら何が残るんだ」と言われている気がした。

結局私は、中国語を使う仕事をすることにした。大久保の日本語学校でアルバイトをした。

朝掃除をしていてカラスにあたまをつつかれたこともあったけど、若い学生たちと交流しているうちに徐々に気力が戻った。

その後、職業訓練校で貿易を学んだ。貿易会社を経てファンシー雑貨メーカーへ入社。そこで靴下に出会った。まんが道を読まなければ別の人生を歩んでいたと思う。

そして今また壁につきあたっている。2025年の売り上げは過去最高だったけど、11月に過去最悪だと思える出来事に遭遇した。

このタイミングでトキワ荘へ行き、テラさんからの叱咤激励をきっかけに立ち直った満賀道雄と才野茂のストーリーを思い出した。

また頑張れそうな気がしている。