ブリングハピネスノート

工場が閉鎖したとき、本当の信頼関係が生まれた|台湾人の同僚と私

私たちの会社は、私と台湾人の同僚の二人で仕事をしています。その同僚は、もともと靴下工場で生産管理を担当していました。

彼女とやりとりをするようになったのは、前職のファンシー雑貨メーカーに勤めているとき、台湾で靴下工場を探したのがきっかけでした。

サンプル、納期、生産に関するトラブルに至るまで、やりとりのほとんどは彼女との間で行われました。

工場が閉鎖するまでの11年間、直接会った回数は数えるほどしかありませんでした。

日々の業務でやりとりは重ねていましたが、あくまでも会社同士の付き合いでしたので、本音を言い合うような関係ではありませんでした。

工場が閉鎖するまで

本当の意味での信頼関係ができたのは、工場が閉鎖するときだったと思います。

工場が閉鎖するまでに、すでにオーダーを入れている靴下を全てを出荷する必要がありました。

もし出荷を待たずして工場が解散してしまえば、すべてゼロからやり直しになります。多くの顧客の売上が上がるタイミングでもあったため、売り場に長期間商品がなくなるのは、大きな打撃になります。

2021年のことです。当時はコロナ禍で、台湾へ渡航することができませんでした。

普段は台北で暮らしている同僚は、工場の閉鎖が決まると、現地に常駐するようになりました。

「編み機が運び出されている」

「工員への給料が支払われていないから前倒しで送金してほしい」

などの情報が、タイムリーに伝わってくるようになりました。

納期に支障が出ないように編機の回収を待ってもらえるよう交渉したり、商品代金を前倒しで送金し給料の支払いに充てました。

もし彼女がいなければ、または私たちが、彼女を信頼することができずに決断を遅らせていたら、弊社の貨物は出荷されないまま工場が閉鎖することも起こり得ました。

工場の閉鎖が決まって一ヶ月ほどですべての貨物を出荷しました。弊社貨物の出荷を待って工場は解散しました。

入荷後の貨物は品質も問題なく、通常通り納品することができました。

社長と再会

工場が閉鎖して2年後、同僚と社長と私の3人で食事をする時間を持つことができました。

それ以来、台湾へ訪問するたびに社長に会っています。

前回は台北の鼎泰豊で食事をしました。入店まで2時間も待ちましたが、お店の周りをぶらぶらしながら、近況を報告したり、悩みを聞いてもらったりしました。

こうした時間を過ごすことができたのは、同僚のおかげです。

もし工場が閉鎖するときに、撤退がうまくいかなければ、弊社の経営も大きく傾いていた可能性があります。

もし靴下をやめていたら、台湾を再び訪れることもなかったかもしれません。

あの一ヶ月の出来事は、これからも忘れることはないと思います。