私たちは、台湾在住のパートナーとの連携で靴下の制作に取り組んでいます。
今年の3月までは、台湾人パートナーが「旧工場の生産管理」で、私が「顧客」という関係でした。
初めて工場に問い合わせをした2010年の3月からのつきあいです。
この11年間ひたすらやりとりをしてきたのでお互いの性格や癖を理解し合っております。過去の膨大な事例も、お互いの頭のなかで共有しているので、話も早いです。
私自身、靴下の知識は、旧工場の社長と生産管理を担当していた彼女から教わりました。
2019年に旧工場を訪問したとき、検品ラインのおばちゃんが言いました。
「耕平、あんたが工場にオーダーを入れるようになって、もう10年だね」
工員のおばさんが、私が工場と歩んできた年数まで覚えていてくれるなんて、嬉しくて涙が出そうになりました。
社長が立ち上げた旧工場を、次の息子の世代に「紡ぐ」ことが私たちの目標でした。
旧工場が閉鎖するまでの日々
2021年3月旧工場の閉鎖が決まりました。
工場が閉鎖する最後の日々は、当時生産管理をしていたパートナーが工場にはりついていてくれたおかげで乗り切ることができました。
「編機が売られて業者に運び出されている」
「工員さんに給料が支払われていない」
日々発生する問題を一個一個つぶしていきました。
その甲斐があって全ての商品を無事に出荷させることができました。彼女がいなければ、コロナで現地に行くこともできない状況での工場閉鎖という大きなトラブルを乗り切れなかったと思います。
パートナーと共に新しい工場との取引を立ち上げる

現在は、同じ台湾にある新しい工場で靴下を製造しています。
「靴下は美術品じゃない履くものだ」
靴下職人でもある、旧工場社長の口癖です。靴下はあくまでも「履くもの」なので、「外観だけではなく」「履き心地」も重視しなければならない、という考え方を表した言葉です。
旧工場は閉鎖してしまいましたが、長年培ってきた思想は引き継ぐことはできます。
新しい工場の社長は、私たちと同じ世代です。品質についての考え方も一致しています。
はじめの数か月は、緊張の連続でした。
実際にやりとりを繰り返して、どこまで細かい部分の追求ができるか探っていく必要があります。
これでもかと言うくらい丁寧な仕様書を作って、製作過程でミスが発生しないように最大限力を尽くすところからのスタートでした。
オーダーが流れるころには、工場の力量も把握できるのですが、初めはじっくりと見極めながら取り組まなければなりません。
台湾人パートナーと手分けをして取り組んで半年になりました。現在は旧工場と変わらないレベルのサービスを提供できるまでになりました。