藁をすがる思いで探した台湾靴下産地との出会い

2010年、私は初めて台湾の靴下工場を訪問しました。

当時私は、老舗のぬいぐるみメーカーで、海外工場で製造する際の、「生産管理」や新規工場を発掘する「仕入れ」を担当していました。

靴下との出会いは、上司から命じられて、中国で靴下工場を探したのが、きっかけでした。

中国語しか通じなかったので、サンプル製作から納品まで、工場とのやりとりは、私が担当しました。

目次

藁をもすがる思いで探した台湾工場

そんな中、ある人気のキャラクター靴下を作ることになりました。

当時靴下の製造をしていた、中国工場にデザインの確認をしたところ「問題ない」(沒問題)ということでしたので、サンプル製作を依頼しました。

サンプルが到着すると、全然大丈夫ではありません。工場に尋ねると、「次回修正できます」

と言います。

ところが、その後、何度修正しても、仕様書通りのサンプルが上がってくることはありませんでした。

理由を尋ねてみても、担当者もしどろもどろ、私自身も、靴下の経験が浅く、社内にうまく説明ができない事態に陥ってしまいました。

すでにカタログにも掲載されてしまい、お客様から沢山の受注を頂いてしまっていました。何度も発売日が延期になり、社内から矢のような催促をうけ、半分ノイローゼになりそうになっていました。

そのキャラクターが夢にも出てくるくらいでした。

藁をもすがる思いで、生産に対応できる工場を探します。そんな中、台湾に靴下工場が集まっている町があることを知ります。

ネットでの検索や六本木にあるジェトロのライブラリーで、台湾の靴下工場を探して、1社1社しらみつぶしに連絡を入れていきました。

台湾で靴下を製造してはじめて、中国で何度やりなおしてもできない理由がわかった

やっとのことで見つけ出した工場でサンプルを製作すると、中国で何度やり直してもできなかったデザインが綺麗に再現されていました。

中国でデザインがうまく表現できなかった理由もわかりました。靴下編機のスペックが原因でした。

10年間、初めて台湾の靴下工場を訪問したとき、40数台も立ち並ぶ多色機を見た感動は今でも忘れません。

「カシャカシャ」と口で疑似音を出しながら、ドヤ顔で、編機について説明する、社長の声が脳裏に焼き付いています。

靴下が好きでしょうがない純粋さが、私を引き付けてやまなかったのかもしれません。

あの日から11年間工場とつきあいました。今は11年前初めて出会った靴下でご飯を食べています。

残念ながら、2021年の3月で工場は閉鎖してしまいました。

スタッフの一人を弊社が引き継がせて頂き、同じく台湾産地にある新たな工場で靴下を作っています。

私たちの靴下作りの考え方と台湾の靴下工場について紹介した記事になります。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

合同会社ブリングハピネス代表。中国内モンゴルで中国語とモンゴル語を学んだのち、東京のぬいぐるみ雑貨メーカーで9年間生産管理の仕事をする。2014年に起業し、台湾靴下工場と一緒に「靴下ブランドを立ち上げたい」デザイナー、クリエイター、ブランドに向けた「伴走型でじっくり取り組む靴下製造サービス」を立ち上げる。台湾工場の強みは細かなデザインの再現とはき心地の良さを両立させる技術力。起業してからの7年間で、工場と二人三脚で数多くのブランドの靴下製造を手がける。バーチャルで靴下サンプル製作が可能な島精機製作所デザインシステムを使用。

目次
閉じる